皆様こんにちは、今回私が育った村のことを紹介しようと思うので、宜しくお願いします。私はバリのヌサドゥアと言う所で生まれ育ちました。ヌサドゥアはバリ島の南部にある小さな村です。子供から専門学校時代までずっとヌサドゥアで暮らしましたが、高校時代ごろヌサドゥア地区にあるマリンスポーツで日本人が沢山遊びに来るきっかけで、日本語を話したくなって、日本語を学びました。24歳の時に沖縄国際大学に留学して、今千葉県に住んでいます。
昔私の村は不毛の砂地で、ヤシの木だけが生い茂ることができます。したがって、私の村の全ての住民は漁師として働いていました。私の村で取った魚はバリの中心部「デンパサル」に売られて、そしてバリ中部の住民はほとんど農民として働いているので、南部「ヌサドゥア」地区に農産物を販売しました。こういう風に昔の経済が循環しました。ヌサドゥアは非常に美しいビーチがあり、親切でフレンドリーな人々、そしてヤシの木が沢山ある所でした。しかし、ヌサドゥアは不毛の場所だったのですが、美しくて白い砂浜があるため、1970年に変化が起こり始めました。
1970年にインドネシア政府はフランスのコンサルティング会社を設立しました。その会社の名前は「centrale societe pour I peralatan touristique outre-mer(SCETO)」です。その任務は、バリ島の持続可能な観光開発のための計画を立てることです。SCETOがビーチにリゾート複合施設を作ることを提案しました。しかし、バリの文化への観光の影響を最小限に抑えるために、場所は主要な人口中心から離れている必要があります。
そして選ばれた場所はついにヌサドゥアのエリアとして提案されました。ヌサドゥアは約350ヘクタールの面積にあります。非生産的な乾燥地の地理的条件はこの場所を選択する一つの理由でした。1974年にヌサドゥアは建設され始め、全てを変えました。文化観光リゾートとしての包括的かつ統合された建物の設計により、一流の観光複合施設になりました。これはヌサドウアのユニークな観光地の一つです。ヌサドゥアの建築エリアは、地元の文化に悪い影響を及ぼさないように、バリの南にある全ての村々とは別に構築されています。この文化的コンセプトのリゾートは、世界で最高の六つのリゾートの一つに選ばれました。リゾート内の施設はゴルフ場、ショッピングセンター、娯楽施設、国際病院などがあります。
ヌサドゥア観光エリアの担当者は「indonesia tourism
development corporation 又は(ITDC)」と言われ、主な仕事はヌサドゥアリゾートの観光エリアの計画や開発を管理することです。現在ヌサドゥアには約25の国際的なホテルがあり、合計約4000室の客室があります。ユニークになり、同時にヌサドゥアビーチの主な魅力は白い砂浜があり、二つの小さな島があります。
ヌサドゥアは「ITDC」の観光エリアにあります。デンパサルから約40キロメーターぐらいありますが、現在高速道路があるので車で行ったら約30分ぐらいかかります。
ングラライ空港とクタ地区のエリアからは約20分ぐらいかかります。安全と快適さの理由があるので、ヌサドゥアに入ると全ての訪問者はセキュリティチェックを受けます。
(ウォーターブロ ー)
2. geger beach
(ゲゲルビーチ)
(パンダワビーチ)
(プールでサーフィン体験)
(ムンギャッビーチ)
(海賊体験)
(マリン スポーツタンジュンベノア)
8. devdan show
(舞踊)
(博物館)
(カメの島)
(シーウォーカー)
(ショッピングセンター)
(ラクダに乗る場)
これは私の村の簡単な歴史です。バリ島に旅行をしたら、是非ヌサドゥアにも訪問してください。遊ぶ場が沢山あるので、バリ島旅行体験も増やすことができると思います。私はガイドとして、いつでもあなたを案内する準備ができているので、是非連絡して下さい。お待ちしております。宜しくお願いします。
by スアルタ