「バリヒンドゥー」バリの宗教ってどんな宗教?

なぜバリ島はヒンドゥー教になったのでしょう?


皆様こんにちは、バリスアのブログにようこそ。

初めまして私はスアルタです。

宜しくお願いします。

 

今回私はバリのヒンドゥー教について紹介しようと思います。インドネシアの中で88%イスラム教です。ですが、なぜかバリ島だけはヒンドゥー教なのです。小さい島なのに不思議ですよね。なぜバリ島だけはヒンドゥー教になったのか?このテーマはとても面白いと思い、これを選びました。ここで紹介するヒンドゥー教はインドのヒンドゥー教とは全く違うものになります。なぜなら、バリ島のヒンドゥー教は仏教とアミニズム信仰をミックスした宗教だからです。この違いについては来年ツアーを作るので、そこでお話ししたいと思います。是非参加してくださいね。よろしくお願いします。


  始め   

バリ島で発展したヒンドゥー教について説明する前に、まず、広大なインドネシアで、バリ島だけがヒンドゥー教である理由を説明いたします。この問題はお客様に良く聞かれました。ですから、今日はなぜバリ島だけがヒンドゥー教になったのでしょうか?そして、どんな宗教が発展したのでしょうか?理由を簡単に説明しようと思います。

 バリ島はとても小さな島ですが。伝統や文化などが豊富な島になります。昔から現在までインドネシア人口の88%がイスラム教徒であるにもかかわらず、バリ島は依然として主にヒンドゥー教になります。問題はジャワ島がイスラム教に変わったのに、なぜバリ島はまだヒンドゥー教になるのでしょう。Robert pringle(ロバート プリングル)と言われる人が出版した2004年のA short history of baliという本によると、Robert pringleさんが70ページの彼の本に書いたように、いくつかの可能性があると言われます。

第一の理由;バリは非常に異なる文化を持っていますが、実際には反イスラムではありませんでした。これが、バリがジャワのイスラム王国によって直接攻撃されたことがない理由と言われます。北バリでの商売するイスラム教の人たちも、バリでの販売が禁止されたことはありません。

第二の理由;ジャワのマジャパヒット王国が崩壊し、バリのゲルゲル王国が強化された時、ジャワのイスラム王国はそれほど強くありませんでした。当時バリ王国はまだ強すぎて、攻撃できませんでした。

第三の理由;ジャワのイスラム王国が強まり始め、バリ王国が弱まり始めた時にちょうどオランダ軍がジャワ島を責めました。その影響でイスラム王国も内部紛争によって、弱体化しました。

第四の理由;オランダ軍の攻撃が激化した時、イスラム王国が防御的になり、もはや拡大を考えなくなりました。実際、イスラム王国オランダ軍の攻撃により、ますますその領土を失いました。イスラム王国は自分が勝っても負けても結局オランダに負けることが分かっていたため、自分の力は自分の国を守るために使おうという判断になったかもしれません。そのため、バリ島をイスラム教に改宗することが出来ませんでした。

イメージはこんな感じです!↓


これらの四つの理由から、バリ島は今までずっとヒンドゥー教の島になったと言われます。


  バリ島で発展した宗教   

様々な場所に散らばっている何百もの古代の本や原稿に含まれている古代バリの文学によると、9世紀から14世紀に発展したヒンドゥー教はtirthaティルタ」宗教として知られていました。ティルタという意味は聖水という意味です。当時、ヒンドゥーという名前はまだ知られていませんでした。ウェーダの聖なる経典ではヒンドゥーという名前は、川又は水源を意味するshinduシンデュ」という言葉に由来しています。

古代インドネシアで発展したヒンドゥー教は、tirthaティルタ宗教」又はshiwa budhaシワブダ宗教」として知られていました。生き物と神との関係についての精神的な知識を教える宗教です。ウェーダ聖書では、それは「ブディヨガ」としても知られています。ブディヨガという言葉は、神とつながるプロセスについての知識を意味します。この宗教の信者は、神々や聖なる先祖に食べ物の形でお供え物を捧げたりします。


  バリヒンドゥーにとっての水の考え方

歴史的なテキスト、ジャワとバリのヒンドゥー教の祖先の遺物、そしてウェーダの経典の両方など、様々な信頼できる情報源によると、ティルタ宗教についていくつかの理解があります。ティルタ宗教は、神に捧げる主な手段として水を使用する宗教になります。バリでは、宗教的な儀式を行うたびに、儀式の主な目的として常に水を使用します。ウェーダ聖書では、水は生命と宗教活動の実施の両方にとって、非常に重要な機能を持っていると言われています。祈る時に、ヒンドゥー教徒は祈った後、常に聖水を貰います。したがって、ティルタの宗教は聖なる水を使う宗教になります。ヒンドゥー教では、祈った後、ヒンドゥー教徒は常に聖水を貰い飲み、頭にかけます。聖水を貰わなければ、儀式がどんなに大きくても、祈りの活動は不完全であると見なされます。

 ティルタという言葉は聖地又は寺院も意味します。したがって、バリのヒンドゥー教徒はtirtha yatraティルタヤットラ」という言葉を知っています。ティルタヤットラというのは聖地を訪れる旅になります。そのため、現在バリ島に存在するヒンドゥー教は、昔ティルタ宗教「聖水宗教」として知られていました。常に聖水を使い、とても美しい寺院がある宗教になります。そして今でも守られている興味深い文化を持っています。

 バリ島でのティルタ宗教の発展により、水と密接に関係している神聖な建物の形で、非常に多くの考古学的遺跡があります。水は全ての生物の生命の源であるため、この世界の全ての人間の生活において水の存在はとても重要です。バリ島では、ティルタエンプル寺院、グヌンカウィ寺院、ゴアガジャ寺院、イェプール寺院など、現在も機能している古代の聖水場や沐浴場がいくつか発見されました。

 ティルタ宗教の本質は、宗教的な儀式や日常生活で水を重要な要素と見なすことです。聖水以外の全ての水を大切にするという考え方です。聖水場は寺院の中にあり、この水は湧き水です。聖水場からの水を使うことは、バリ社会におけるティルタ宗教の発展の特徴を示しています。宗教儀式の際にこの水を使いますこの水が聖水という印は、石像や壁からプールに水を放出する蛇口の形です。蛇口の形は女神や宗教上の動物の像の形をしています。その理由は神秘的な力があると考えられているためです。


  なぜ今ヒンドゥーと呼ばれているのでしょうか?   

インドネシアの独立後、バリヒンドゥー教という用語が常に宗教として認められました。しかし、当時の国家によって宗教として認められるには、多くの障害はありました。当時インドネシアの宗教大臣は非常に狂信者のイスラム教だったからです。当時の宗教大臣はインドネシア国内の宗教はイスラム教、プロテスタント教とカトリック教のみを認めていたため、バリヒンデュー教は宗教として認められていませんでした。

全てのバリ人がイスラム教に改宗することを困難にするために大臣は宗教と信念宗教という壁のような規則を作りました。3つ以外の宗教の人たちは全て、非宗教的な人として認識されます。

インドネシアの全ての伝統は部族の信念として分類されました。1950年のレビューに基づいて、宗教省はバリの宗教生活には様々な多神教的およびアニミズム的慣習が含まれていると結論付けました。したがって、バリの宗教は信念の宗派として分類され、非宗教的な人物と見なされました。全てのバリのコミュニティリーダーはそれを全て受け入れませんでした。バリで成長している宗教団体の指導者たちは、インドネシアの宗教省によって設定された方針に沿った宗教の原則と実践の一派的な理解を得るためにインドで勉強することに同意しました。バリの賢い若者たちも、インドのShantiniketan Vishva Bharaty 大学」、「 Banaras
Hindu
大学」、
「インド文化国際アカデミー」に留学するために派遣されました。1958年の6月14日、バリ政府は、バリヒンドゥー教はインドネシア法に違反していないと述べ、宗教省内にバリヒンドゥー教のセクションを設立することを提案しました。

1959年の1月1日に、インドネシア政府は宗教省内にバリヒンドゥー教問題に関するセクションを設立しました。同じ年に、バリの全ての主要な宗教団体は、Parisada hindu dharma bali(パリサダ ヒンドゥー ダルマ バリ)と呼ばれる一つの組織に統合されました。1966年から1980年代まで、多くのジャワ人とインドネシアの全ての信念宗派が自分たちをヒンドゥー教徒であると宣言しました。1968年にParisada hindu dharma baliと呼ばれるヒンドゥー教の組織はインドネシアのヒンドゥー教コミュニティ全体に対応するために、その名前をParisada hindu dharma Indonesia(パリサダ ヒンドゥー ダルマ」に変更しました。この組織の形成は、バリヒンドゥー教徒の闘争の旅の一部であり、信念の宗派としてではなく、宗教としてのヒンドゥー教を要求しています。そういうことがあったので、バリで発展したティルタと言われる宗教は今までその名前をヒンドゥーに変えていました。


  終わりに   

聖なる池や石造の蛇口からの水を使用は、バリの人々のティルタ宗教の発展の特徴を示しています。ティルタ宗教の本質は、水を宗教的な儀式の行列や日常生活の重要な要素と見なすことです。ゴアガジャ寺院ティルタエンプル寺院の神聖な湧き水など、これまでバリで有名ないくつかの神聖な湧き水があります。聖なる湧き水は昔からそのままの建造物の形と機能の両方の点で、今でも生き残っている古代からの遺物です。今まで聖なる湧き水は非常に純度が高いと考えられており、宗教儀式に広く使われています。水源はバリの人々にとって、非常に重要であるため、人々はその持続可能について非常に守っています。従って、聖なる湧き水の周りの建造物を維持することは、水源を保護し、バリ人の社会のニーズに応じて使用できるようにするための取り組みです。

これはバリ島で発展した宗教の簡単な説明になります。この説明で皆様のバリ島の文化や伝統などについての知識が増えることができれば嬉しいです。

最後まで読んでくれてありがとうございます。


by;スアルタ

バリ歴史ツアーをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む