バリ島の歴史、5分でわかる大まか編

はじめに

皆さんこんにちは。バリ歴史ツアーのハルミです。5分でわかるバリ島の大まかな歴史を紹介します。歴史の流れがわかると、バリ島のいろんな歴史がすっと入ってきやすいです。観光の時にも、少しでも知ってるととても面白いのでぜひ読んでみてくださいね。

バリ島の歴史

・バリ島にが紀元前2,000年ごろから人が住んでいた。

・8世紀ごろから、高僧ルシマルカンディヤジャワ島からヒンドゥー教を伝える
ブサキ寺院建築、スバックシステムはこの頃から

ブサキ寺院

・913年ごろ、バリ島最大の王朝『ワルマデワ王朝』が築かれた
グヌンカウィ遺跡で有名なウダヤナ王は989年のワルマデワ王朝の4代目の王

ウダヤナ王を礼拝するための石墓


・11世紀に入ると、東ジャワのクディリ王国との関係を強めるようになる。

・1284年、東ジャワのクディリ王国はジャワ島のシンガサリ王国のクルタナガラ王の軍隊に滅ぼされ、負ける。その後、バリ島はシンガサリ王国に征服され、服属。

・その8年後にシンガサリ王国はクディリ王国の領主、ジャヤカトワンに滅ぼされ、再びバリ島は自由になる

・1343年東ジャワのマジャパヒ王国に侵攻され、400年続いたワルマデワ王朝は滅びる

・マジャパヒ王国は東ジャワのクディリ王国の子孫をバリ島に送り、ゲルゲル王国を作らせる。(現在のクルンクン県のゲルゲル村)バリ島はゲルゲル王国の間接的な支配下に置かれる。その際にジャワヒンドゥーの文化の影芝居(ワヤンクリッ)、カマサンスタイルの絵、舞踊、ガムランなどの文化が広がった。

カマサンスタイルの絵

・しかし16世紀になると、ジャワ島へのイスラム勢力拡大により、マジャパヒ王国は衰退。そのため、ジャワにいたヒンドゥー教徒、僧侶もバリ島に逃げる事になる。またこの頃、高僧ダンヒャンニラルタもジャワから渡来し、タナロット寺院やウルワツ寺院などを建設。

タナロット寺院

・1651年ゲルゲル王国の王が家臣の謀反をきっかけに現在のクルンクン県ゲルゲル村からクルンクンのスマラプラに遷都。その家臣が王になることを認めないために、群雄割拠の時代に入ることになる。17世紀から18世紀にかけて各地の貴族はマジャパヒ王国の子孫であると自称するようになり、クルンクン王国の他に7つの小国が乱立。(現在の県の元となる、タバナン、ギャニャール、カランガセム、バドゥン、メングイ、バンリ、ブレレン→メングイはその後消滅する)

・19世紀末オランダ植民地化が始まり、各地で戦争

・1908年にはオランダが最後のバリ島の王国クルンクン王国を滅ぼし、バリ島全土を征服。しかし、ププタンにより、オランダは世界から非難される。その結果オランダはバリ島の文化保全をすることになる。※ププタンとは最後の命まで戦うこと。

クルンクン王国時代の裁判所カルタゴサ

・1942年に日本軍がインドネシアを植民地化

・1945年インドネシア独立

最後に

いかがでしたか?ざっくりなので、気になったことがある方はぜひ深掘りしてみてくださいね。今回の歴史にも登場した、8世紀に高僧ルシマルカンディヤが建築したブサキ寺院、ウダヤナ王が作ったゴアガジャ遺跡やクルンクン王国時代に建てられたカルタゴサに行けるツアーがあります。1日でバリ島の歴史文化を堪能できるツアーです。バリ歴史ツアーでしか味わえませんのでぜひご参加お待ちしておりまーす!最後まで読んでいただきありがとうございました!

byハルミ

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