バリ島の権力争い時代

クルンクン時代歴史

「バリ島の権力争い~クルンクン時代~」

 


皆様こんにちは、バリスアのブログにようこそ。

初めまして私はスアルタです。

宜しくお願いします。

 今回私がバリ島の17世紀から19世紀までの歴史を紹介しようと思います。この時代、バリ島は九つの王国に分かれ、王国の各地域は現在、県になっています。この時代の歴史も面白いと思うので、バリ島の歴史に興味ある方は是非読んで下さい。

より良いブログを作ることができるように、皆様の「コメント」や「いいね」書いていただければ、嬉しいです。バリスアのブログはバリの歴史や文化などを紹介するブログなので、バリ島の歴史や文化などの知識を広げたい方は、是非バリスアのブログを読んで下さい。宜しくお願いします。

  9つの王国から作られたバリ島    

歴史のことを紹介する前に、先ずバリ島にある王国の名前を紹介いたします。昔バリ島では九つ王国がありました。

 その王国はこちらです。

1.ブレレン王国。       2.ジェンブラナ王国 。

3. タバナン王国。          4.バデュン王国。

5. ギアニャル王国。   6. バングリ王国。

7.メングイ王国。         8.カランアセム王国。

9.ゲルゲル王国

 

 一つの国から九つの国へ             

 この九つの王国の中で、一番強かったのは9番の「ゲルゲル王国」です。ゲルゲル王国はバリ島を一つの国にしたかったので、それぞれの王国を責めました。その結果、バリ島はゲルゲル王国により一時的に統一されました。1650年から1686年までのバリ王国「ゲルゲル王国」の政治情勢は、王国内で頻繁に権力争いの反乱があったため、非常に悪化しました。反乱があるので、小さい王国がゲルゲル王国の力から離れるためにはこの状況は有利でした。ついにバリの全ての小さな王国が反乱を起こし、ゲルゲル王国の権力から離れました。バリ島は再び、九つの王国に分かれました。1692年にカランアセム王国はその力をロンボク島に拡大しました。1697年にカランアセム王国はブレレン王国が東ジャワのブランバンガンと言う王国を征服するのにも役立ちました。18世紀にメングイ王国も強くなったので、メングイ王国はブレレン王国の征服された地域を引き継ぐことができました。

 その時代に多くの王国間の対立が発生したため、19世紀の終わりまで、バリ島の政治は悪化し続け、不安定になりました。ゲルゲル王国の中で起こった問題は多すぎたため、当時の王様は自分の王国をクルンクン地域に移しました。その王国の名前はクルンクン王国と言われるようになりました。19世紀の時に、バリ島の小さな王国の王たちはクルンクン王国をバリ島で最高の権力者として認めたくなかったため、いろんな場所で王国間の戦争が続くようになってしまいました。1800年にクルンクン王国はバングリ王国を征服することができました。しかし、1805年にカランアセム王国の助けにより、バングリ王国はクルンクン王国から独立することができました。1800年にギアニャル王国もクルンクン王国から独立することができたと言われます。クルンクン王国はギアニャル王国の独立のことを認めなかったため、1820年にクルンクン王国はギアニャル王国、バデュン王国、メングイ王国、バングリ王国を攻撃し、非常に大きな戦争になりました。1850年にタバナン王国とメングイ王国の戦争があり、1891年にメングイ王国はバデュン王国に攻撃されました。 

  まとめ              

17世紀から19世紀の終わりまで、バリ島にある王国が権力を握って、最強の王国になるように、王国間の戦争はずっと続いていました。この時代に平和と言うのはなかなか感じることができなかったと言われます。この時代は辛い時代ですが、この戦争があったため、現在のバリ島ができました。ですから、バリ島の歴史の中で、この時代が現在のバリ島の形成の基礎となっています。

 こちらはバリ島で起こった17世紀から19世紀までの簡単な歴史になります。

この次の時代は「新バリ時代」と言われ、この時代はバリ島がオランダの植民地の時代になります。この時代も紹介しようと思うので、この時代も是非読んで下さいねー。宜しくお願いしますー。

By;スアルタ

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