ウルンダヌバトゥール寺院

はじめに

皆さん、こんにちは、バリ歴史ツアーのスアルタです。新たなブログを書きました。今回はバリ島の北部のバランスを保つ、ウルンダヌバトゥール寺院のことを書いてみました。バリ島の歴史や伝統文化に興味がある方は是非最後まで読んで下さい。

ウルンダヌバトゥール寺院

ウルンダヌバトゥール寺院

ウルンダヌバトゥール寺院はバリ島のバングリ県にあります。この寺院はバリ島でブサキ寺院に次いで2番目に大きな寺院です。バリ島にある六つの大事な古代寺院の中で最も重要な寺院として、この寺院はウィシュヌ神とダヌ女神を崇拝するためにバリ島の北部に建てられました。北部に位置し、バリ島の北部の調和とバランスを維持する役割を持っています。

ウルンダヌバトゥール寺院は17世紀にバトゥール山の麓の南西に初めて設立されました。この寺院はウィシュヌ神とダヌ女神を礼拝するために使用されました。バトゥール湖はバリ島最大の湖で、この水源は農業活動に使用されているため、最も重要な湖と考えられています。この寺院は『ウルンダヌバトゥール』寺院と呼ばれ、サンスクリット語からできました。ウルンは『前、頭、元』という意味です。ダヌは『』という意味で、バトゥールは『純粋、精神的に綺麗』という意味です。この寺院はバリヒンドゥー教徒にとって、宇宙、特に農業のバランスを維持するために非常に重要であると考えられています。

バトゥール山

いくつかの聖典によると、この寺院はバリ島全土で最も重要な寺院の一つと言われています。1917年のバトゥール山の噴火以前、この寺院はバトゥール山の南西の麓にある『karang anyar』カランアニャル村にあったと言われました。1917年の噴火では多くの犠牲者がでましたが、バトゥール山から噴出した溶岩は寺院に衝突しませんでした。寺院の出入り口の寸前で溶岩が止まったと言われています。そのような出来事を見て、村人たちは自分の村に幸運があると考えられたので、そのままその村で暮らしたそうです。

1926年4月21日にバトゥール山が再び噴火しました。この時の噴火はすごく激しく、周りの村や寺院などは全て破壊され、溶岩に飲み込まれてしまったと言われています。その噴火で1500人以上の犠牲者が出たと言われています。バトゥール山の麓周辺地域は居住不可能と宣言され、村人全員は移住させられてしまいました。移転の際には周辺の村々やオランダ政府の支援も受けました。損傷のなかった、寺院に関係がある神聖な物は全て、安全な場所に移動されました。

バトゥール山が安全であると宣言されてから数か月後、バングリ県の政府によって新しい村開発が開始されました。村を災害から、より安全に守るために、バングリ県の政府はバトゥール山のカルデラの外側の場所を選びました。バングリ県の政府は村を建設しただけでなく、溶岩で被害を受けた寺院も新しく建て替えました。現在それは、ウルンダヌバトゥール寺院として知られています。ですから、この寺院は元々、17世紀に建てられましたが、バトゥール山の噴火によって1926年に新たな場所に移設され、今まで残っています。

寺院の複合体

この寺院は九つの寺院からなり、水、農業、聖泉、芸術、工芸などの神を祀る285の異なる聖地が含まれています。この寺院の中で十一個のメルは水の神と湖の女神を礼拝する場所になるので、一番重要で神聖な場所と言われています。9個のメルはバトゥール山神、アバン山神とワトゥレンゴンという王様の魂を礼拝する場所として使用されています。残りの8か所の寺院は、『jati penataran』ジャティペナタラン寺院、『tirtha bungkah』ティルタブンカー寺院、『taman sari』タマンサリ寺院、『tirtha mas mampeh』ティルタマスマンペー寺院、『sampian wangi』サンピアンワンギ寺院、『gunarali』グナラリ寺院、『padang sila』パダンシラ寺院と『tuluk biyu』トゥルックビユ寺院です。

ウィシュヌ神とデウィダヌ女神の礼拝する場所

中国のお寺の歴史

この寺院の敷地内には珍しく、中国のお寺もあります。このお寺に祀られている神はバリ島で『ratu gede Ngurah subandar』ラトゥゲデェングラースバンダルと呼ばれます。キンタマーニのヒンドゥー教徒によれば、スバンダル神はビジネスと経済の神として知られています。デウィダヌ女神は農業の女神として知られ、ウィシュヌ神は水の神として知られています。そういうお寺になるので、農業の仕事やビジネスをする人たちもよくこのお寺にお祈りしに来ます。

この寺院のお坊さんの話によって、この中国のお寺は元々、寺院の外側に建てられていたと言いました。この寺院のお祭りが行われた時に、何人かの人は神に乗り移られました。その神に乗り移られた人は『私はスバンダル神で、今まで寺院の外側に座らされていたので、皆と一緒に中に座らせてください。私はキンタマーニのコミュニティ全体を守り、平和を提供します』ということを言ったそうです。

そのような願いがあったため、キンタマーニの人たちは皆、外にあったお寺を寺院の中に移設し、今の形となりました。このお寺が寺院の中に移されてから、キンタマーニの人々の生活と経済は徐々に良くなったと言われています。だからこそ、今までキンタマーニの人々はいつもこのお寺でお祈りをしています。

中国のお寺

最後に

このブログで皆さんがバリ島の伝統文化を知ることが出来れば嬉しいです。この寺院はとても素敵な寺院なので、バリ島に旅行したら是非、行ってみて下さい。最後まで読んで頂きありがとうございます。

by;スアルタ

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