ペナタランサセ寺院

Pura penataran sasih ペナタランサセ寺院

皆様こんにちは、バリ歴史ツアーのスアルタです。

今回は、ペナタランサセという有名な寺院のことについて書いて見ました。古くて、様々な時代を超えた寺院になるので、今回はこの寺院のことについて選びました。バリ島の伝統文化を知りたい方は、是非最後まで読んで下さい。

始まり

ペナタランサセ寺院はバリ島の古い寺院の一つで、非常に長い歴史があります。この寺院はギャニャール県のペジェンという村にあります。ウブドから東へ約30分かかります。この寺院の特徴は大きな遺跡があります。考古学的な名前は『ネカラ』と呼ばれます。この寺院で発見された紀元前時代から14世紀の間までの遺跡によって、この寺院はヒンドゥー教の影響がある前に建てられたと考えられます。オランダの『von heine geldern』という考古学研究者によると、この寺院のエリアで発見された『ネカラ』という遺跡は紀元前の300年のベトナム北部の文化に属していたと言われます。これは、ペナタランサセ寺院がおそらくバリ島にヒンドゥー教の影響が及ぶずっと前から存在していたことを意味します。

バリ島へのヒンドゥー教の文化影響の流入

歴史によると、ヒンドゥー教の文化は8世紀ごろからバリ島に伝わったと言われます。ヒンドゥー教文化が入る前に、アニミズムなど様々な宗教的な信仰がありましたが、ヒンドゥー教が入ってバリ島の人たちはほとんどヒンドゥー教の信仰になりました。8世紀にヒンドゥー教の信仰をしている人たちが多かったため、ヒンドゥー教の信仰をしている王様が、元々こちらにあったお寺を改造して、ヒンドゥー教のコンセプトで建てられ、今の形になったと考えられます。

発見された遺跡の役目

この寺院で発見された遺跡は8世紀から14世紀までの時代が一番多かったですが、一番興味深い歴史を持っているのは紀元前300年に作られた遺跡になります。その遺跡は『ネカラ』と呼ばれます。銅からでき、結構大きいサイズがあります。この遺跡が発見された場所は寺院の隣にある民家で発見されたと言われます。神聖な物だと考えられたので、研究者たちはこの寺院に置いて、今まで神聖なものとして使用されています。研究者たちは、この遺跡の彫刻を見て、紀元前時代にはこの遺跡が季節になると必ず雨が降るように自然崇拝の手段として使用されたと考えられます。この遺跡は、適切な季節に雨が降るように、礼拝の手段として宗教的な規則に従って叩かれる儀式用の太鼓として機能します。この結論は、動物、人間の顔、葉っぱ、8本の光線を備えた太陽のイメージを備えた『ネカラ』の装飾に基づいて導き出されました。

寺院の役目

この寺院の歴史によって、この寺院は月の神様を祀る寺院として使用されています。バリヒンドゥー教の信仰の中で月の神様は『sanghyang chandra & sanghyang ratih』サンヒャンチャンドラとサンヒャンラティと言われます。A.J.Bbernet kempers という研究者によると、ペナタランサセ寺院は古いバリ王国の中心的な陸寺院として使用されたと言われます。そして、山の寺院はキンタマーニの『puncak penulisan』プンチャックペヌリサンという寺院になります。バリヒンドゥー教は二極のコンセプトで生きるという考え方があるので、必ず山の寺院と陸の寺院があります。山の寺院はプルサと言われ『男性』のシンボルで、陸の寺院はプラダナと言われ『女性』のシンボルとして使用されます。バリヒンドゥー教の教えでは、神が創造した二つの要素『』の組み合わせが豊饒と繁栄をもたらすと考えられています。そして、研究者によって、バリ島にある寺院の中で、この寺院はとても古い寺院で、様々な時代を超えたと言われます。

1963年、バリ島最大の山であるアグン山が非常に激しく噴火しました。強力な噴火により、この寺院は非常に大きな被害を受けました。そして、1966年に改造して今の形になりました。この寺院の中で月の神様を礼拝する場所だけあるのではなく、ブラフマ神様や、ウィスヌ神様などがあります。この寺院の誕生祭は210ごとに行われます。綺麗で興味深い歴史を持っている寺院になるので、バリ島に旅行したら、是非この寺院にも行ってください。

この記事で、皆さんがバリ島の伝統文化や歴史などを知るようになれば、嬉しいです。最後まで読んで頂きありがとうございます。

By;スアルタ

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