皆様こんにちは、バリ歴史のブログにようこそ。
初めまして、私はスアルタです。宜しくお願いします。
今回私はバリ島のカルマのことについて紹介しようと思います。なぜこのテーマを選んだというのは、このカルマという考え方を持つと、自分の生き方や行動の仕方が良くなると感じたからです。そして、ヨガの中でも、この言葉はよく言うので、ヨガをやっている方たちは聞いたことがあると思い、今回はこのテーマを選びました。
今から説明するカルマはヒンドゥー教の考え方で作られたものです。バリ島の歴史や文化などに興味がある方は是非これを読んで、バリの人々考え方を知っていただければ嬉しいです。
より良い勉強になるブログを作ることができるように、皆様の「コメント」や「質問」などを書いて頂ければ嬉しいです。
はじめ
バリ島のヒンデュー教はヒンデューダルマ宗教やサナタナダルマ宗教ともよく言われ、永遠の真実という意味です。ヒンデュー教はインドのシンデュ川渓谷周辺で初めて生まれ、発展したと言われています。その後、インドネシアやバリ島など各地に広がりました。ヒンデュー教は世界中の全ての人類に受け継がれるために、神によってお坊さんに直接教えられた宗教と言われます。
ヒンデュー教の教えを構成する三つの基本的な枠組みがあります。その三つの枠組みとは、こちらです。
1.「tattwa」と言われ、タットワは宗教哲学の知識です。
2.「susila」と言われ、スシラはマナーの知識です。
3.「upacara」と言われ、ウパカラはお祭りや儀式などの知識です。
カルマの法則
この議論では、ヒンドゥー教におけるカルマパラの法則の存在について簡単に説明します。バリ島のヒンドゥー教徒はカルマパラ法則を強く信じています。では、カルマパラとは何でしょう?カルマは行動という意味で、パラは結果又は実という意味です。カルマパラは、私たちがこのように生きている間に行う全ての行動の成果又は実という意味になります。
この世界で私たちが行う全ての行動は、良くても悪くても、常に私たちが行った行動におじて結果をもたらします。どんなに小さな行動であっても、必ず同じ結果が得られます。直接的に又は間接的に結果が必ず来ます。私たちは、善行が楽しい又は良い結果をもたらすと信じています。一方、悪い行いは悲しい結果や悪い結果をもたらします。
時間の観点から見ると、カルマパラは三つの部分に分けることが出来ます。
1.「sancita karma phala」サンチタカルマパラ。
サンチタカルマパラというは、十分に享受されていない前世での私たちの行動の結果であり、今でも私たちの現在の人生を決定する種子になります。前世のカルマが良ければ、現世の人生も良いと言うことになり、前世のカルマが悪ければ、現世の人生も悪くなると言うことになります。
2.「prarada karma phala」プララダカルマパラ
プララダカルマパラというは、現在の人生における私たちの行動の結果になります。現在の生活で、常に良いことも悪いことも行う場合、この人生でも全ての結果が得られます。プララダカルマパラは素早いカルマパラと解釈できます。
3.「kriyamana karma phala」クリヤマナカルマパラ
クリヤマナカルマパラというのは、現在の人生で直接享受できない行動の結果になります。現在の人生で私たちが行う全ての行動は、次の人生で受け入れられます。現在の人生の中でカルマが良ければ、次の人生も良いと言うことになり、現在の人生はカルマが悪ければ、次の人生も自然で悪くなってしまうと言うことになります。
遅くても早くても、人生の中で私たちの行動の全ての結果は、自然の法則であるため、私たちの行動の全ての結果は、間違えなく受け入れられます。全ての行動の結果を良くも悪くも避けることはできません。従って、私たち思考能力を持つ人間は、現在感じている全ての苦しみや幸福などは、現在又は過去の行動の結果であることに注意する必要があります。原因があり、結果がなければならない。それが、現実です。人間は常に善を行うことによって、惨めな状態から抜け出すことができます。
カルマの法則は何度も何度も世界に生まれ変わることを意味するプナルバワと密接に関係しています。この転生は、魂が苦しみの罰を受けるか、前世で行われた行動から幸福の報酬(プレゼント)を受けなければならないために発生します。転生はモクサ「moksa」で消すことが出来ます。
モクサとは?
モクサは自由という意味です。世俗的な結びつきの影響から解放され、カルマの法則から解放され、輪廻から解放され、幸せに消えて行きます。カルマと輪廻の法則を経験しないので、魂は世俗的な生活から解放されます。そのため、魂は再び輪廻転生することなく、「parama siwa」パラマシワという神の領域に留まり続けることになります。
『神の領域にとどまる』ということはヒンドゥー教の一番の目的です。つまり、『神の領域』とは天国です。生まれ変わりというのは無宗教の方たちにとっては、『もう一度人間に生まれ変わり、再び、人生を歩む』ことだと思う方もいると思います。ですが、ヒンドゥー教の中の考え方では『神の領域』つまり天国に行き、神様のもとに行くことが最大の目的とされています。なぜならば、天国にはこの地球で感じられない幸福がある、と聖なる経典に書かれているからです。
このモクサの領域(天国)を達成するための主な条件は、善に専念すること、純粋な心に専念することになります。心の純粋さは神の祝福を得る主な方法になります。錆びていない鉄は磁石にくっつきやすい、逆に錆びだらけの汚れた鉄は磁石にくっつきにくい、というようにつまり汚れた心では神は来ないということです。モクサ(天国に行くこと)はヒンドゥー教の究極の目標になります。モクサで私たちはこの世界に生まれ変わることはなく、神の領域に留まり続けます。
ヒンドゥー教によると、究極の目標としてのモクサは、「catur marga」チャテュルマルガと呼ばれる四つの道を通って達成できます。
1.「bhakti marga」バクティマルガは感謝でモクサを達成することが出来るという意味です。
2. 「karma marga」カルママルガは行動によって、モクサに達成することができるという意味です。
3.「jnana marga」ジュナナマルガは知識や勉強でモクサを達成することが出来ると言う意味です。
4.「raja marga」ラジャマルガはヨガでモクサを達成することが出来るという意味です。
パンチャスラダ
ヒンドゥー教は「パンチャスラダ」と呼ばれる5種類の信仰又は信念について教えています。五つの信念の一つはカルマであり、より小さい意味では行動になります。広義には、カルマパラと呼ばれる因果の法則又は全ての行為の結果を意味します。カルマの法則は、全ての生き物がカルマの法則に従うと言う意味で、普遍的な性質を持っています。そして、全ての行動は必ず結果を得ます。カルマは思考、言葉と行動から生じます。そのため、行動の良し悪しは、たとえそれが単なる思考であっても、結果をもたらします。
まとめ
人生は自分のカルマを受け継ぎます。私たちは自分自身のカルマの創造者になります。カルマは誰にも起こり、カルマは永遠の法則です。なぜなら、カルマは因果の法則の要素だからです。ヒンドゥー教の教えの柱であるカルマパラの教えは維持され、実行されなければなりません。カルマパラの教えが人生で実行されない場合、おそらくこれらの教えは無意味な言葉になります。過去、現在、未来の永遠の法則であるカルマパラの教えを実行し、理解することで、平和は必ず実現できます。
この人生の過程で、私たちはしばしばカルマを忘れてしまいます。そのため、私たちが直面する全ての問題は、常に他人のせいにします。本当は自分がやってしまったことは、全て自分たちに戻って来ます。それがカルマの法則です。ですから、この人生に直面するとき、私たちは他人を傷つけることなく、良いことを考え、良いことを行い、良いことを言い続けなければなりません。カルマ法則は必ず返って来るからです。ただいつ返って来るかは、人によって時間が違います。
見返りを求めず、善行を行い続け、起こった悪事については深く考えすぎずに、流れにのって人生を生きるのが賢明です。
個人の意見
メリットは、このような宗教の考え方は、私たちの平和にとって非常に良いことだと思います。なぜなら、このような知識を人間に与えることで、間接的に人間を犯罪への恐怖に駆り立てます。
デメリットは、個人的な意見では、全ての問題は運命(カルマ)だと言われているので、それは間接的に人々が考えるのを怠る原因になります。問題の原因を探すのではなく、それは運命だから、仕方がない、認めよう、受け入れようとよく言われるので、考える力も弱くなってしまいます。考えることが無駄な努力の習慣になることで、発展も遅くなってしまう原因になっているのではないかと思います。
By,スアルタ