サムアンティガ寺院

皆さんこんにちは、バリ歴史ツアーのスアルタです。

今回私が選んだテーマは、サムアンティガという寺院の歴史です。バリヒンドゥー教徒の歴史の中で、この寺院は最も大事な寺院になるので、この寺院の歴史を選びました。バリ島の歴史や伝統文化を知りたい方は、是非最後まで読んで下さい。

どこにある?いつ建てられた?

サムアンティガ寺院はバリ島のギアニャル県のベデュルという村にあります。ウブドから東へ20分ぐらいかかります。バリ島の歴史の中で、この寺院はとても大事な寺院の一つになっています。

この寺院はいつ建てられたかというのは、基本的に、はっきり分からないです。なぜならば、この寺院に関係がある遺跡や本などは、ほとんど発見されていなかった為、この寺院はいつ建てられたかというのは詳しくは分からなくなってしまいました。しかし、この寺院の名前が記載されている聖典があります。その聖典は『tatwa siwa purana』タットァシワプラナと言われます。その聖典の11ページに『chandra sangka』チャンドラサンカという王様が『penataran sasih寺院』、『samuan tiga寺院』を建て、様々な宗教行事に使う踊りなどを作ったと書いてあります。

その聖典によって、この寺院は『chandra sangka』チャンドラサンカという王様によって建てられました。しかし、発見された古代遺跡には『chandra sangka』チャンドラサンカという名前の王様はいませんでした。chandra baya singa』チャンドラバヤシンガという王様の名前の場合はありました。タンパクシリン村に発見された遺跡によって、『chandra baya singa』チャンドラバヤシンガという王様は962年に『tirtha empul』ティルタエンプルという寺院を建てたと書いてあります。

聖典に記載されている『チャンドラサンカ』という名前が『チャンドラバヤシンガ』王の別名であれば、この寺院は10世紀にティルタエンプル寺院と同時期に建てられたと言えます。

 

なぜ、サムアンティガ寺院と呼ばれるようになったのか?

この寺院のお坊さんによって、11世紀になる前にこの寺院の名前は『gunung buah』グヌンブア寺院と呼ばれたと言われました。今はサムアンティガ寺院として知られています。サムアンティガという言葉は『サムアン』と『ティガ』という言葉からできました。サムアンは会議又は統一するという意味で、ティガは三つという意味です。そのため、サムアンティガは『三つの会議』又は『三角形の会議』という意味になります。

古代バリ時代の時に、この寺院では重要な協議が行われたと言われています。その重要な協議は、西暦の989年から1011年ごろのウダヤナ王の治世中に行われたと考えられています。ウダヤナ王がバリ島で統治していた時、シワ宗派、仏教宗派とバリ島の先住民族との間で大きな協議が行われました。その協議において、バリ島の全ての村は、共同体の生活秩序として『三神一体』を崇拝する寺院を設立しなければならないことが決定されました。人々の生活の平和を達成するためには、バリ社会の宗教対立に対処する必要があるため、大規模な協議が行われました。

この協議を実施したのがエンプクテュランと言われるお坊さんです。バリ島で発展した宗派を統一するための大協議を実施しました。統一するための大協議の場所はこの寺院だったそうです。その大協議を思い出すために、この寺院はサムアンティガ寺院と呼ばれるようになったと考えられました。

三神一体のコンセプト

その後、三神一体のコンセプトは、『kahyangan tiga』カヒャンガンティガと呼ばれる寺院を建設することにより、バリ島の全ての村に適用されました。家ごとに家族寺を建てるというコンセプトに適用されました。エンプクテュランお坊さんは政府法の専門家であるだけではなく、宗教哲学の分野でも優れた人物です。彼は宗教の教え、特にバリ島の寺院の配置に基づいた建築家でもあります。『raja purana』ラジャプラナという聖典には、バリ島での宗教生活の管理に関するエンプクテュランお坊さんの教えが記載されています。

 

終わりに

この寺院の設立は、もともと古代バリ王国時代に本土の寺院として使用されていました。その後、宗教的人物、特にシワ仏教宗派と、バリの村や家庭生活に三神一体のコンセプトを適用することに同意したバリ先住民の集会の場として使用されました。社会的には、この寺院はバリ島の全てのヒンドゥー教徒を統合する媒体として機能し、一体感に基づいて各村に平和が実現します。従って、サムアンティガ寺院は、バリ島の三神一体のコンセプトを応用して各村に寺院が存在する先駆者であると言えます。サムアンティガ寺院の存在は、時代とバリ島のヒンドゥー教徒の社会文化的生活に従って成長し、発展し続けています。

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